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愛知県で合格祈願をするならココ!受験に縁起がいい神社3選!祀られている菅原道真についても紹介!

愛知県で合格祈願をするならココ!受験に縁起がいい神社3選!祀られている菅原道真についても紹介!

名古屋の三大天神は、上野天満宮、山田天満宮、桜天神社です。3箇所全てを回ることを名古屋三大天神参りといい、道真が描かれた「名古屋三大天神巡拝絵馬」の裏に、各神社の御朱印を受ける「三社巡り」も有名です。

引用:『名古屋三天神

どの神社にも学問の神様である菅原道真公が祀られており、それゆえに受験生にとって縁起が良いとされています。

菅原道真公について

菅原道真

引用:『学問の神様といえばやはりこの人「菅原道真」

菅原道真(承和12年6月25日〈845年8月1日〉- 延喜3年2月25日〈903年3月26日〉)は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家です。彼は、自身が信仰する真言宗を普及させるため、政治力を持った信者を育成し、また、自分の政治的な地位を強固するために、政治的・軍事的な手法を用いました。

菅原道真は、学問の神様として称えられる理由は、彼が時代の知識や学問を高め、また、仏教を通じて学術的な知識を広めることに努めたことが大きな要因です。彼は、真言宗を信仰する信者を育成するために、学問や文化を重視し、信者たちにも学術的な知識を教えました。また、彼自身も数多くの学問や文化に造詣が深かったことから、「学問の神様」として称えられるようになりました。さらに、彼が生前に作成した書物や、彼の智慧や知識を受け継いだ者たちによって発展した学問も、彼の学問の神様としての称号を確立する要因となりました。

日本史を学習した方の中には「菅原道真=遣唐使廃止」のイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。

彼は、遣唐使と呼ばれる、日本から中国への使節団を廃止することを決定しました。

この決定は、当時の中国と日本の関係が悪化したことが要因です。中国が日本の使節団を受け入れなくなったため、菅原道真は、これ以上の果てしない費用をかけて、無駄な使節団を送ることに意味がないと判断しました。

また、菅原道真は、この決定を通じて、日本国内の政治的な力を強化することも目的としていました。彼は、日本国内の政治力を強化することで、国内外の挑戦者から自分を守ることができると考えました。

このような経緯から、菅原道真は、遣唐使を廃止することを決定しました。この決定は、当時の日本の歴史に重要な役割を果たし、日本国内の政治的な状況を大きく変えました。

政治や宗教など多方面で学問的に活躍した菅原道真は後々学問の神様として評価されるようになりました。

怨霊として忌み嫌われていた?

菅原道真は死後しばらく「怨霊」として忌み嫌われていました。

菅原道真が太宰府に左遷させられたことは有名ですが、これは870年に官吏登用試験で抜群の成績を修めて任官し、右大臣に就任した菅原道真が同様に地位を確立した藤原時平の反感を買ったことが要因でした。

藤原時平は醍醐天皇に「菅原道真は天皇を失脚させるための陰謀を企てている」と伝え、菅原道真は無実の罪を着せられることに、これによって太宰府への左遷が実行されました。

左遷の2年後、菅原道真は失意のうちに命を落としてしまいます。

怨霊として忌み嫌われるようになったのはこの後。左遷に追い込んだ藤原時平は39歳で突如死亡。さらに宮廷内で落雷が発生し、複数の貴族が命を落とすことに。菅原道真を左遷した醍醐天皇とその皇太子もが病で亡くなり、この一連の事件が菅原道真の祟りであると考えられるようになりました。

以降、菅原道真は「怨霊」と呼ばれるようになりました。

上野天満宮について

ご祭神の菅原道真公をモチーフにしている「天神みくじ」が有名な上野天満宮は愛知県名古屋市千種にある神社です。

引用:『上野天満宮-名古屋コンシェルジュ

平安時代に安倍晴明により創建されたと伝えられており、境内の一角には晴明殿という建物もあります。

山田天満宮について

菅原道真公を祀っている神社です。寛文12年(西暦1672年)江戸幕府4代将軍徳川家綱が、教育・学問を広く世に広めるため、文教の政治を奨励しました。
当時尾張の国藩主徳川光友は、家綱の文教政治を重んじたことから、文教の太祖と形容され、その生涯はお手本として評価されました。菅原道真の御神霊を太宰府(太宰府天満宮)から尾張の国並に、尾張藩の教育学問そして道真が短期間で出世したように藩の人間も出世するべく菅原道真を祖神としてお迎えし、山田天満宮を創設しました。

桜天神社

名古屋市営地下鉄の桜通線の由来にもなった桜天神社は北野天満宮を深く信仰していた織田信長の父、織田信秀が夢枕で菅原道真に「私は北野天満宮の梅松院にいるので、信秀が住む国に祀りなさい。さすれば町民の安全を守る」と告げられたことにより創設された神社です。

創設時、神社周辺が芳野桜の名所でることが要因で「桜の園」「小桜町」と呼ばれており、桜天神・桜天満宮と名付けられました。

受験生は名古屋三大天神参りへ!

この記事を読んでいる受験生やその保護者は名古屋三大天神参りに挑戦してみてはいかがでしょうか。菅原道真のご利益をあやかって、きっといい結果をもたらしてくれるはずです。